


羽月基
1996年生まれ。1990年代〜2000年代のストリートウェアを中心に取り扱い、当時のファッションやカルチャーを独自の視点で提案しながら、その魅力や熱量を次の世代へ伝えるヴィンテージショップ『blue room』のオーナー。
ー まずは、ファッションが好きだと自覚した頃のことからお聞きできたらと思うのですが。
羽月:そんなところから聞いていくんですか?
ー はい。原体験のようなところから聞いていきたいなと。
羽月:ずっと野球少年だったんですよ。小学校高学年の頃に『MAJOR』という野球漫画を読んで、「野球やってみたいな」と思って、中学校から野球部に入りました。中学3年生のときに修学旅行があって、帰ってきた翌日は振替休日で、当然部活も休みだったんです。ただ、野球部には「やる気があるやつは来い」みたいな空気があって。僕は普通に休んで原宿に行ったんですけど、あとから聞いたら、僕以外の部員は全員練習に来ていたらしいんですよ。
ー (笑)。それはやられましたね。
羽月:びっくりして、「みんなどんだけ野球好きなんだよ」って思っちゃったんですよね。それで、自分はそこまで野球を好きにはなれないんだなって気づきました。それでも、高校を卒業するまでは続けていたんですけどね。
ー ちなみに、その頃から原宿に行っていたということは、ファッションにはすでに興味があったんですね。
羽月:4歳上に服飾の専門学校に通っていた兄がいて、その影響ですね。でも、もちろん好きに服を買えるようなお金はなかったので、原宿に行ってもいろんなショップを覗いたり、試着したりするだけでした。
ー どういうショップに行っていたんですか?
羽月:古着屋によく行っていました。初めて買ったのは、Ralph Laurenのデニムシャツと、Gramicciのアメリカ製のベージュのショーツですね。その上下に赤のCONVERSE『ALL STAR』を合わせて、バッティングセンターに行く、みたいな。ちょうどその頃に地元に小さな古着屋ができたり、友達とスケートをして遊ぶようになったりして、一気に興味が深まっていったんですよね。自分の好きなものが固まり始めたのも、この頃だったと思います。高校でも野球は続けていたんですけど、野球部的なノリが好きじゃなくて。でも、だからこそ野球部の印象を変えたいとも思っていて、部員を何人か引き連れて原宿に行って、古着屋であれこれ勧めたりしていました。

ー 高校卒業後は?
羽月:服飾学校のシューズデザイン科に進みました。その頃は服以上に、とにかくスニーカーが好きだったんですよね。だから、「自分でスニーカーを作れたら、一番のスニーカーヘッズじゃん」と思って。ただ、ものづくり自体は得意じゃなかったんです。しかも友達も全然できなくて、ずっと図書館に籠って昔の雑誌を読み漁っていました。
ー そうやって昔の雑誌を読むなかで、服そのものだけじゃなく、その背景にある人やカルチャーにも興味が広がっていった?
羽月:そうですね。ただ、その入口になったのは高校生の頃に読んだ『EYESCREAM』のSK8THING特集だったと思います。「こんなにかっこいい人がいるんだ」ってかなり食らって、何度も繰り返し読みました。専門学校に入ってからも、靴を作るために昔のスニーカーを調べようと雑誌を見ていたんですけど、だんだんシューズそのものより、そこに出てくる人や文化のほうに惹かれていきました。高校生の頃に『EYESCREAM』を通して漠然と知っていた藤原ヒロシさんやスケシンさんのことも、少しずつ具体的に分かるようになってきて。自分で何か新しいものを作るより、こっちのほうが面白いじゃんって思うようになりました。中古で買ったGOODENOUGHのTシャツを着て学校に行っていましたけど、誰からもツッコミは入らないし、ますます周りと話が合わなくなっていったんですよね。

ー おそらく2010年代前半だと思うんですけど、当時の裏原宿カルチャーって、今のように価値が見直されていたわけではなく、まだ“懐かしいもの”という空気でしたよね。
羽月:“アーカイブ”という言葉もまだ浸透していなかったし、“古着”というよりは“中古”っていう感覚でした。
ー この頃に、『blue room』の輪郭のようなものができ始めたわけですね。
羽月:そうですね。その頃にようやく同い年で、同じ目線で服の話ができる友達ができたんです。それが、今お店を一緒にやっているメンバーのひとりなんですが、彼が古着をたくさん持っていて、「いつかこれでポップアップをやりたい。やるときは手伝ってよ」と話していたんです。それで専門学校を卒業する間際に、初めて古着のポップアップをやりました。まさかそれが、こうやってお店になるとは、そのときはまったく思っていませんでしたね。

ー その後は?
羽月:古着屋で働き始めたんですけど、ポップアップのほうも週に一度手伝っていたんですよね。そうしたら、「羽月がセレクトしたものも置いていいよ」と言ってもらえて。自分が好きだった日本のストリートブランドと、その周辺のブランドを集めてラックを作ったんです。その流れで「blue room」って名前でInstagramのアカウントも作って、最初は自分の私物を売っていました。GOODENOUGHとか、今でも店に置いているようなものを、その頃から変わらずに出していましたね。それからわりとすぐに物件を借りて古着屋を始めたんですけど、最初は本当に全然売れなかったです(笑)。
ー 幸先が悪いですね(笑)。
羽月:「俺が好きなものは受け入れてもらえないのかな」って思いましたけど、それでも一丁前に、自分が好きなもの以外は売りたくないという気持ちがすごく強かったんです。トレンド商売みたいなことを個人の古着屋でやっても意味がないなって。そもそも、お金を稼ぐことだけを目的に始めたわけでもなかったので。動機として、自分が好きなものや文化を人に共有して、認めてもらいたい、という気持ちが強かったんですよね。学生時代はずっと話の合う友達がいなかったし、好きな服の話で誰かと盛り上がることもできなかった。だからこそ、洋服を通じてつながれる友達がほしかったし、お客さんとも同じ目線で好きなものについて話せる場所にしたかったんです。
ー ある意味、『blue room』は自分自身のために始めた場所だった?
羽月:そうですね。一方で、僕の同世代でも、「裏原ってなに?」って人も多くて。上の世代が作ってきた最高の文化が少しずつ失われていくような感覚もあって、それは良くないなと思っていました。ただ好きで集めているだけだと、結局は“好きな人”で終わってしまうけど、そうじゃなくて、大義名分を持ってほかの人にも伝えていける立場になりたかった。そのために『blue room』を作った、という感じですね。

ー お店が知られるようになった大きなきっかけは?
羽月:OKAMOTO’Sのオカモトレイジくんとの出会いは大きかったですね。お店を始めて少し経った頃に、いきなり来てくれて。そのときが初対面だったんですけど、そこから3日連続くらいで来てくれたんですよ。来るたびにいろんな人を連れてきて、紹介してくれました。レイジくんが当時やっていた『YAGI』というポップアップにも参加させてもらって。そこから一気に、いろんな人に知ってもらえるようになりましたね。
ー ちなみに、それまで“中古”として見られていた日本のストリートブランドが、“アーカイブ”として広がり始めたのって、『blue room』がオープンした2019〜2020年頃ですよね。
羽月:そうですね。オープンしてすぐの頃は、お客さんも純粋にグラフィックやデザインの良さで買ってくれている感じだったんです。でも、だんだん「藤原ヒロシさんって何者なんですか?」とか、「このTシャツって、どういう人が作ったんですか?」みたいなことを聞かれるようになってきて。アイテムそのものだけじゃなくて、背景まで知りたがる人がすごく増えていったんですよね。あとになって気づいたんですけど、その頃って世界中で同時多発的に、日本のストリートカルチャーに興味を持ち始めた同世代がいたんですよ。海外から来たお客さんと話したり、SNSで情報を見たりもするんですけど、僕と同じようなものが好きなのってみんなリアルタイム世代じゃないどころか、僕より年下の人も多くて。なんだか面白い現象が起きているな、と思っていました。
ー 今でこそ裏原ブランドのアーカイブを取り扱っているお店ってたまに見かけますけど、『blue room』しかり、それぞれ独自の解釈を混ぜながら提案しているのが面白いなと思うんですよね。
羽月:僕らも『blue room』を、“あの頃のストリートウェアを置いているショップ”という位置付けには絶対にしたくなかったんですよね。店内には『SUMMER OF LOVE』というショップも併設していて、そちらはデザイナーズブランドやユーロ古着などを中心に扱っています。僕自身、ずっと“ミックスすること”に興味があるんです。そこは藤原ヒロシさんからの影響が大きいですね。たとえばSEDITIONARIESにヤンキースのスタジャンを合わせて、足元はVANSにする。そういう、一見異なるカルチャーに属するものを組み合わせる感覚というか。雑誌でHERMÈSとSTUSSYが隣り合うページで紹介されているような、ジャンルを横断するミックス感にすごく影響を受けています。だから、ストリートウェアを当時のセオリー通りではなくて、デザイナーズやほかのジャンルの服とフラットに並べて提案したいんです。ストリートウェアだけのお店なら、自分がやる意味はあまりないとまで思っていて。むしろ、こういう混ぜ方こそ自分だからできることなのかなって。
ー 古着を扱う以上、過去のものではありますが、情報や記号を売っているわけではなく、ということですよね。
羽月:もちろん、過去のことを知らない世代に知ってほしいという気持ちはあります。でも一方で、最近は別に知らなくてもいいのかもしれないとも思っていて。

ー と言いますと。
羽月:当時はブランドごとの棲み分けや、ある種のドレスコードみたいなものが、今よりずっと厳しかったんだろうなと思うんですよね。でも、今の感覚なら、むしろそこを気にしないほうが面白いコーディネートになることもあるじゃないですか。僕自身、全身を裏原の服で固めるようなスタイリングは好きじゃなくて。ひとつまみくらいがちょうどいい。だから、お客さんにもあまり深く考えすぎず、気軽に取り入れてほしいんです。ただ、完全に“過去のもの”にはなってほしくない。『ASAYAN』や『BOON』に載っていたスタイルを、そのまま今もう一度提案するのはもったいないと思います。せっかく令和に生きていて、ファッションの選択肢もこれだけ多様になっているわけですし。
ー 過去の文化ではあるけれど、解釈は現在進行形で変わっていってるんですね。
羽月:そうだと思いますよ。自分より下の世代の着こなしを見て、「それとそれを合わせるんだ」って刺激をもらうこともありますし、海外の人たちの着こなしやブランドの捉え方も、日本にいる僕らとは全然違う。そういう外からの視点は、すごく大事にしています。文化としては尊重しつつも、常に自分なりに解釈していたいんですよね。だから、裏原という現象そのものにはすごく興味があるけど、あまり入れ込みすぎないようにしなきゃなって。一定の距離感は保つようにしていますね。

ー ここまで話を聞いてきて、羽月さんはすごくファッションが好きなんだな、と思ったんですが。
羽月:好きですね。
ー どういうところがお好きですか?
羽月:“自己表現”と言うとだいぶ使い古された感じになってしまいますけど、やっぱりそういうものとして捉えているところはあります。自分が着ているTシャツやスニーカーが、メディアみたいに機能することもあると思うんです。最近は海外の友達も増えて、英語はそんなに話せないんですけど、それでも、Tシャツやスニーカーが共通言語になることがある。僕にとってファッションは、そういうコミュニケーションツールのひとつでもあります。だから、なるべく無地のTシャツを着ないようにしていて。
ー なぜですか?
羽月:無地のTシャツって、すごく“無言”じゃないですか。日々いろんな人に会うので、なるべく自分の”好き”が伝わる物を着たいなと思って。

ー 日々のコーディネート、かなり考えて選ぶタイプですか?
羽月:Tシャツとスニーカーはどれにするかめちゃくちゃ考えます。誰に会うのかとか、その場でどういう自分でいたいのかとか。ただ、レアなスニーカーが好きとか、いわゆるスニーカーヘッズ的な感覚はあまりないんです。最近はむしろ、スニーカーそのものよりも、“履かれている状態のスニーカー”がいいなと思うようになってきて。
ー 履かれている状態?
羽月:その人の身体の一部かと思うくらいクタクタになったスニーカーを見るのが好きなんですよね。そういう履き方をしている人って、靴が主役になっていないんですよ。逆に、レアなスニーカーを買うために行列に並ぶような人たちって、そんな状態になるまでは履き込まないじゃないですか。それって、なんかあんまりかっこよくないなって。
ー 分かるような気はします。
羽月:だから、靴は好きですけど、世に言う“スニーカーヘッズ”とは価値観が違いますね。みんなが欲しがっている時点で、それって本当にレアなのかなとも思うし。

ー その感覚は、学生時代からあったんですか?
羽月:そうですね。今でこそNIKEばかり履いていますけど、専門学校で靴を作り始めてから、一時期NIKEのことを避けていたんですよ(笑)。靴って一足作るだけでも本当に時間がかかるし、大変なんです。苦労してようやく一足作っている横で、街では毎週のように、みんな同じスニーカーを目当てに行列を作っている。それを見て、「自分が一生懸命靴を作る意味って何なんだろう?」と思ってしまって。結局みんな人気の靴が欲しいだけじゃん、つまらないなって。
ー そこから、どうやってまたNIKEを履くようになったんですか?
羽月:結局、スニーカーを好きになった原点はNIKEだったし、古い雑誌を読み漁るなかで、デザインの奥深さや進化を止めない姿勢にも改めて惹かれていったんですよね。ただ、人と同じものは履きたくなかったので、昔のNIKEで誰も覚えていないようなモデルを探して買っていました。加水分解していたら、自分で直して履いたりして。

ー 『blue room』でも、新品のNIKEを取り扱っていますよね。
羽月:そうですね。古着屋でこうやってNIKEを扱っているのは、現時点ではうちだけらしいんですよ。ずっと靴の業界からは離れていたんですけど、3年くらい前からNIKEと関わるようになって、2年ほど前から『blue room』でも取り扱わせてもらっています。それで先日、ポートランドの本社に呼んでいただいて、『AIR MAX』のデザインをさせてもらったんですよ。
ー おお、それはすごいですね。
羽月:専門学校まで出たのに、靴の業界に進むことを一度は諦めて、古着屋を始めて。かなり遠回りしたんですけど、結局また靴に戻ってきたんですよね。それで今、自分がNIKEに呼んでもらってスニーカーをデザインしているっていうのは、妙な巡り合わせだなと思いました。今回デザインした『AIR MAX』も、過去のNIKEのアーカイブからいろいろな要素を拾って、それを編集して作ったんです。考えてみれば、その感覚って『blue room』をやるなかで身につけてきたものなんですよね。過去のものをただ再現するんじゃなくて、いろいろな時代や文脈から要素を拾って、自分なりに組み直していく。もし専門学校を出て、そのままずっと靴のことだけをやっていたら、たぶん今の形ではNIKEに呼んでもらえていなかったと思うんです。古着屋をやって、遠回りしたからこそ、こうやってまた靴と関われたのかなと思いますね。
