今やファッションとして日常に根付いているグラミチだが、ルーツは紛れもなくクライミングにある。それは、1970年代に“ストーンマスター”と呼ばれた伝説的ロッククライマー、マイク・グラハムによるクライミングパンツに端を発するブランドだからだ。本連載では、クライミングに心を掴まれたクライマーたちのメンタリティやライフスタイル、クライミングとの向き合い方に迫る。改めてグラミチの原点を辿る道標には、図らずも今を生き抜くエッセンスが内包されていた。
竹内俊明
竹内俊明
NAME
竹内俊明
TITLE
ROCKY 代表取締役
AREA
瑞牆山
PROFILE
1986年三重県生まれ、千葉県育ち。日本で3番目に古い歴史を持つクライミングジム「ROCKY」に高校1年生のときから通い始め、社員として務めた後、2022年に「ROCKY」を運営する株式会社「船橋ロッキー」の代表取締役に就任。現在は新宿曙橋店・品川店・両国店・印西店・つくば阿見店・船橋店と計6店舗を運営しつつ、ロッククライマーとして難関課題に挑戦し続ける日々を送る。
クライマーの聖地として日本のヨセミテと形容される瑞牆山。待ち合わせ時間より大分早く到着し、既に十分すぎるほどのウォームアップを終えた竹内さんと合流した。株式会社「船橋ロッキー」の代表取締役としてクライミングジム「ROCKY」を経営しながら、現在はここ瑞牆山のフローティンという最難課題に挑戦中。経営者とクライマー、その2つが交差する竹内氏ならではの視線の先に映る景色を追った。
―――まずクライミングと出会ったきっかけからお聞きしたいです。

中学生のときはずっとバスケットボールをやってたんですが、高校に入ったタイミングでふと山に行ってみたいなと思い、山岳部に入部しました。当時、クライミングジムがまだ全国に30ヶ所もなかったくらいだったんですが、その高校の山岳部は山岳登はんとクライミングの強豪校で、高校にクライミングウォールがあったんです。また、国体に縦走とスポーツクライミングが競技として入ったタイミングでもあり、環境面でも良い時期に始められたかなと。ただ、クライミングが面白すぎて、それだけをしたい!ってなって半年で山岳部は辞めちゃいました。その後、山岳部の繋がりでクライミングジム「船橋ロッキー」に通うようになったんです。

―――クライミングに一瞬でめちゃくちゃハマったんですね。

なんですかね……登るのが単純に楽しかった。ひたすら毎日登ってたなぁ。そのときから今まで、結局クライミングしかしてないですしね。全く飽きないんですよ。

―――それ、すごいですね。

飽きないどころか、クライミングを始めて23年くらいですけど、氷山の一角くらいしか掴めてないんじゃないかって感覚です。それくらい奥が深い。

―――ジムで腕を磨きながら、コンペに出場していたかと思います。いつから岩場メインにシフトしていったんですか?

2010年くらいまでコンペに出場していたんですが、そのころワールドカップにコーディネーションスタイルの課題が出始めたんです。簡単にいうと、ロッククライミングとは違うパルクール的な動きのスタイルですね。フィジカルがなくても、上手くバランスを取って落ちないように頑張れる選手が勝つ、みたいな。
僕が出場した2010年のワールドカップでその傾向が顕著に表れていて、そのタイミングかな。結局それが僕にとって最後のワールドカップになりました。
――そんな流れがあったんですね。強いクライマーが勝てないって矛盾しているように感じます。

そうですね。その流れがしばらく続いて、東京五輪のときがピークだったと思います。ただ最近は、コーディネーション×フィジカルのハイブリッドのようなムーヴがどんどん出てきています。広背筋の力で推進力を生み出して、空中でバランスを取りつつ、保持力で次の悪いホールドを止める、みたいな。派手で見栄えのいいムーヴのなかに、クライミングの本質的な強さを問うような課題です。これは、強くなきゃできないし、勝てない。
僕がコンペに出場していた時期がちょうど大きな変革期のひとつだっただけで、世界のコンペシーンも含めてスポーツクライミングシーンは、まだまだ成熟していません。世界中の情熱を持ったクライマーたちが、皆でクライミングのポテンシャルをどれだけ引き出せるかを日々模索している。
自分もいちジムオーナーとして、クライミングを進化させていきたいと思っています。
―――スポーツクライミングにも様々なスタイルや流れがあって興味深いです。現在、竹内さんは岩場をメインに活動されていますが、印象に残っている課題とかってあったりしますか?

う~ん、あんまり覚えてないんです。クライマーって過去に登った課題のことは頭になくて、今挑戦している課題に脳内を占領されてると思うんです。そういう意味では、一番印象に残ってる課題っていわれると、これですね。

―――瑞牆山のフローティン?

そうです。国内のボルダーだと最難クラスで、六段がついています。もうかれこれ4年くらい前から挑戦してますね。

―――過去を振り返らないって、人生でもなかなかできることじゃないから羨ましく感じます。

クライミングって、挑戦している瞬間がすべてだと思います。今日、何年もトライしていた課題が登れても、その30分後に違う課題にトライしてできなかったら、帰り道は悔しい。頭のなかは、できなかった課題のことばっかり。信じられませんよね? でも、それがクライミングの魅力でクライマーを魅了し続ける理由なのかもしれません。どんなに課題を登っても、一生では触り切れないほどの岩がある。そして、その岩ひとつひとつも全く違いますし、どこをどう登るかもクライマーの自由。

―――ボルダリングの魅力ってどこにあると思いますか?

自分が一生をかけて登りたいと思うような魅力的な岩に出会って、それが登れても、もっと魅力的な岩が目の前に現れるんです。それはジムでも同じで、課題が登れた瞬間、もっと登りたい課題が現れる。終わりがないんです。
―――初めて岩場を訪れたのはいつか覚えていますか?

高校生のとき、最初は奥多摩の御岳に放課後電車に乗って行くようになって。瑞牆山にもそのときから行ってましたね。

―――日本のヨセミテとも称されるだけあって、景観も圧巻ですよね。当時も感動したんじゃないですか?

いえ、高校生のころは本当にクライミングのことしか考えてなかったんで、こんなに美しい場所だということは認識してなかったです。

―――木を見て森を見ずって感じですね(笑)。

それこそ、岩しか見えてなかった。ここ最近ですね、同じ景色をみているはずなのに、四季折々の美しさが瑞牆山にあると気づいたのは。

―――クライマーにとって瑞牆山はやはり特別な場所なんですか?

もちろん。ここにはとんでもないポテンシャルが潜んでます。現在、ボルダーだけでも2100課題あり、トラッドやスポート、マルチを合わせると3000課題を超えます。世界的にみても巨大な花崗岩のエリアで、その上、どのエリアもまだ開拓の余地があります。花崗岩の岩質は、フリクションがあって、硬くて、形もさまざまで、クライマーにとって最も魅力的。今後、想像もできないような岩のラインがどんどん登られていくと思います。
―――グラミチとの出会いについて教えてください。

10代のときですかね、周りのクライマーが穿いているのを見て自分も買いました。Tシャツも持ってましたね。普通クライマーって岩場に来て私服から着替えるんですけど、グラミチを穿いている人は着替えないでそのまま登ってそのまま帰るんです。それがいいなって。僕のジムに来てる人もグラミチを愛用している人はたくさんいて、みんな着替えません!

―――山/街兼用を実践してくださっている方がいて、嬉しい限りです。着用感などはいかがでしょうか?

やっぱり、股下のガゼットクロッチがいい。これがあることによってマジで足開くんで。後は、シルエットも脚捌きを考えると若干ゆとりのあるグラミチパンツは申し分ないかなって思います。
限界のクライミングに挑むときは、なるべく軽いウェアを選びますが、ラフに登りたい日には、登っててカッコいいパンツがいいので、そんな日にはグラミチがベストですね。
―――現在、竹内さんが代表取締役を務めている「船橋ロッキー」についてお聞きしたいです。

1993年に1号店がオープンしたのですが、日本では3番目に古いジムなんです。T-WALL→PUMP→ROCKYですね。高校1年生のときから通っていたんですが、当時はロッキーにいる面子が一番強くて、日本代表も5人くらいいたかな。

―――クライミングジムを営むうえで、心掛けていることはありますか?
“なにも縛らない”のが他と違うところだと思っています。僕はコンペに出なくなったけど、コーディネーションが流行ったときは取り入れてましたし。クライミングって多様性が面白いし、そもそも遊びなんで。だから若い子がなんか新しいことしたいって言ったら制限したくないし、面白そうだからみんなでやろっか、っていう姿勢でいます。

―――レベル的にも年齢的にも幅広い層の方が通われているんですか?

そうですね。先代から引き継いだ座右の銘は“クライミングの伝道師”。僕らジムスタッフは、クライミングカルチャーを伝えていかなきゃいけない。そうなったとき、お客さんが上級者だけだと伝えられないんです。かといって、その人達がいないと最先端も伝えられない。だから、うちの場合はグレードがとても幅広く、ひとつのジムのなかにあらゆるレベルの人達が集うようになっています。そういうコミュニティが形成されてこそ、カルチャーを正しく伝導できるのかなと思っています。
―――クライミングジムの経営者、そして一人のクライマーとしてこれからチャレンジしていきたいことはありますか?

伝導していくってことが僕らの使命である一方、クライミングって伝導しなくてもそもそも面白いものだから、勝手に広がっていくものだとも思っていて。ただ、その面白さを僕らが一番理解しているので、それをどれだけ伝えて、ポテンシャルを引き出してあげられるかっていうのは常にチャレンジですね。
また、会社としてもパワーをつけていきたいし、結果として今のクライミングジム業界だとできないことに挑戦できればと思っています。例えば丸の内に100mの壁を立てるとか。そうすれば、クライミングと出会ったことのない多くの人達に、クライミングってなんか面白そう!って思ってもらえるんじゃないかなって。

―――想像するだけでもワクワクしてきます。是非、実現させてください! 最後に、竹内さんにとってクライミングとはなんでしょうか?

夢ですかね。冒険と挑戦をし続けるのがクライミングで、それに向かっているときがずっと面白い。だから、僕にとってクライミングは夢なんです。
Photo:Kanta Nakamura(NewColor inc)

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