今やファッションとして日常に根付いているグラミチだが、ルーツは紛れもなくクライミングにある。それは、1970年代に“ストーンマスター”と呼ばれた伝説的ロッククライマー、マイク・グラハムによるクライミングパンツに端を発するブランドだからだ。本連載では、クライミングに心を掴まれたクライマーたちのメンタリティやライフスタイル、クライミングとの向き合い方に迫る。改めてグラミチの原点を辿る道標には、図らずも今を生き抜くエッセンスが内包されていた。
チョク
チョク
NAME
チョク
TITLE
JAZZY SPORT MORIOKA/THE STONE SESSION 店主
AREA
JAZZY SPORT MORIOKA/THE STONE SESSION
PROFILE
1977年生まれ。岩手県盛岡育ち。2002年に体育と音楽の融合を目指すレコード店「JAZZY SPORT」を盛岡で立ち上げた後、2012年にクライミングジムを主体に、音楽イベントや物販を行う「JAZZY SPORT MORIOKA/THE STONE SESSION」を移転オープン。クライミングコンペでのDJはもちろん、選手の育成やルートセッター、映像制作等、そのENERGYをJAZZYに発揮している。
「JAZZY SPORT MORIOKA/THE STONE SESSION」へ向かうため、最寄りの厨川駅でピックアップしてくれたCHOKUさん。「ウェルカムドリンクです!」と笑顔で、近くのドライブスルー専用カフェでハンドシェイク替わりのバナナシェイクを手渡す仕草から、人柄の良さがすぐに伝わった。音楽を軸に、クライミングとのセッションを楽しむCHOKUさんの生き方から、クライミングの明るい未来を模索する。
―――まずは、クライミングとの出会いについて教えてください。

そこに行きつくまでちょっと長くなるんですけどいいですか?(笑)

―――もちろん、構いません!(笑)。

ありがとうございます! そもそも、小学生の頃からスポーツが好きで、特にバスケが大好きだったんです。ちょうど、NBAがNHKの衛星放送で始まった辺りだったんですけど、試合よりその後に流れるハイライト映像にめちゃくちゃハマッちゃったんです。 正確に言うと、その映像と一緒に流れるブラックミュージックが最高で、スポーツと音楽の融合を初めて実感した瞬間でした。高校生にはDJを始めて、自然とレコード店に就職していました。

―――CHOKUさんの原点はNBAのハイライトだったと。

そういうことになりますね。今は盟友としてともに「JAZZY SPORT」を盛り上げているMASAYAとは、20歳くらいのときに知り合ったんですが、彼からあるとき急に「ジャジースポートって名前、カッコよくない?」って電話がかかってきたんです。 そのとき、好きなものが全部そこに詰まってて。ジャズの即興性やスポーツでパスを通すときの阿吽の呼吸のように、音楽とスポーツがシンクロしてる言葉がまさに「JAZZY SPORT」だった。ちょうど自分も独立する予定があったので、その名前でレコード店を始めたんです。

―――それが2002年に盛岡にOPENした「JAZZY SPORT」だということですね。

はい。そのタイミングで、盛岡にある「ONE MOVE」っていうクライミングジムのコンペでDJをしてくれないかというオファーを、このコンペに協賛していた石井スポーツで働いていた同級生でダンサーの友人からもらって。当日、もちろん音楽をかけるだけだと思ってたら、「大会にも出てみたら」って急に言われて(笑)。それがクライミングの初体験です(笑)。
―――すごい無茶ぶりですね(笑)。実際、登ってみてどんな感じでした?

いや、ほんとに何もできなくて。でも、それが面白かったんです。次の日、即シューズを買いに行ったくらいですから。

―――一気にクライミングにのめり込んでいったんですね!

もちろん登るという行為も楽しかったんですけど、一番興味が湧いたのはクライミングと音楽の関係性でした。海外のクライミングのDVDとかを買い漁って見ていると、バチバチに照明がたかれて、周りでは皆お酒を飲みながら、DJが音楽をかけてたんです。 しかも、自分が好きなヒップホップやジャズ、ソウルにファンクだったり、いろんなジャンルの曲が使われているその寛容さに驚いたし、クライミングと音楽って実は融合できるんだってのを知った。自分は“何かと何かが合わさったときの面白さ”というか、それによって“カッコよさが倍々になる”ってのが好きなんで。
―――小学生のときに感じた“バスケと音楽の融合”と同じような事象がクライミング界にもあったと。では、クライミングとの関わりはDJが主体となっていくわけですか?

今はクライミングジムを経営して選手の育成に力を注いでいますが、当初は「THE NORTH FACE CUP」や「Boulder Japan Cup」などのコンペのDJとして、音楽を通してクライミングと接する機会が多かったですね。

また、全国の繋がりのあるクライミングジムのTシャツやロゴデザインなどを手掛けたり、今はなかなか行けてないのですが、自然の岩場で登るのも好きです。“挑む”というより、癒しだったり楽しむ感覚ですね。
―――「JAZZY SPORT」は、10年目を迎える2012年に現在の厨川エリアに「JAZZY SPORT MORIOKA/THE STONE SESSION」として移転しました。きっかけは何だったんですか?

2011年に起きた震災を経て色々と考えるようになったんです。10年間レコード店をやってたんですが、音楽もダウンロードが主流になり始め、結果としてCDが淘汰されていく風潮が生まれたり、誰でもビートを作れて誰でも音楽を生み出せる時代が来る予感もあり、何か違うことをやりたいモードになっていました。そこで、クライミングジムを主軸として、クライマーと音楽好きが混ざり合って、新しいものが生まれる空間を作ろうと思い立ったんです。

―――「THE STONE SESSION」というネーミングからも、2つのものが合わさって新たなものが生まれる様子が思い浮かびます。

ジャズミュージシャンがハイな状態でセッションするっていう意味で、元々はMASAYAと組んでいたユニット名なんですけど、STONE=岩っていう感じでクライミングにもハマるなと。で、この名前の下に小さく「DESTRUCTION AND CREATION」というスローガンが入っています。これは、筋肉が成長するためには繊維を壊して修復する、つまり、破壊してビルドするっていう意味が込められていて、いわば修業部屋って感じです(笑)。
―――そういう意味では、ストイックなスタイルのジムということでしょうか?

基本的にはそうなんですけど、誰かと競い合うというのではなく、あくまでも自分自身と向き合って楽しく成長していく場を目指しています。ジムの真ん中にはまぶし壁を設けて、それぞれのスキルに合わせてルートをアレンジできるようにしていて、その他の壁でコンペで求められる動きを練習できるようにしています。

―――一般的なジムで見受けられるグレードを示す印もないようですね。

そもそも大会ではグレードなんて書かれていないし、そのルートに対して自分で考えて想像力を養うことが大事だと思っているので。だって、ラーメンで5辛6辛とかってありますけど、それってもう個人の感覚で変わる世界なんで、登る人が自分の感覚でグレードを確かめればいいんじゃないかと。
―――ジムに来るクライマーはさまざまですか?

選手として頑張っている若い子もいれば、趣味として訪れるおじさんたちもいますよ! おじさんたちは、コンペで頑張っている子供たちのルートを味見して、痛い目に合ってワーキャー言って楽しんでますね(笑)。ワールドカップの強度ってこんなんなんだって。 バッティングセンター行って160㎞を体感してみる、みたいな(笑)。 ストイックなジムですけど、わが子の成長を見守るようにおじさんたちもちゃんと馴染んでいる。また、クライミングの良さって、こういうトップの人達の姿を間近で見られる稀有なスポーツでもありますよね。

―――バッティングセンターでイチローのスイングを見られるような。

そうそう! 他のスポーツにはない文化ですよね。海外だとナショナルチームは専用の施設で練習しますから。日本独自の無くしていけないカルチャーですね。
―――グラミチとの出会いについてお聞きしたいです。

高校生くらいのときに訪れたセレクトショップに、蛍光のグリーンとか後染めのピンクとか派手な色が平積みされているのを見ていいなって。自分はショーツが好きなので、3色くらい買いましたね! それこそ、後染めっていう言葉はグラミチを通して初めて知って、仲間うちでTシャツを作るときにanvil社の後染めボディを好んで使ってました(笑)。

―――間接的にでもお役に立てて光栄です(笑)。

僕は、流行とは無縁でずっと残り続けるモノやコトを大切にしているんですが、グラミチにもそれが当てはまると思っています。いつお店に行っても必ず買えるし、今日穿いてるグラミチパンツも、80年代に発売されてからずっとタフな生地感や形をほとんど変えずに残り続けてますよね。 昔よく古着店の人とかがよく言ってた「これ、何十年も穿けるから」っていうパンチラインあるじゃないですか? グラミチはまさにそれ。僕にとっては、クライミングパンツ界の501的な感じですね。
―――これまたとても嬉しいお言葉、ありがとうございます。

というか、一説によるとグラミチパンツのこのガゼットってカンフーパンツから着想を得てるんですよね? カンフー!って感動しちゃいました(笑)。僕もクライミングや日常生活における運動のヒントとして、武道やジークンドーの考え方だったり明治以前の日本人の動き方などを調べているので。 恐らく色んなパンツをチェックしたなかで、クライミングにはカンフーがいいってなったわけじゃないですか。やっぱり、異なるジャンルを融合させて落とし込む発想が、ツボなんですよね。
―――日本代表の伊藤ふたば選手は、ここ「JAZZY SPORT MORIOKA/THE STONE SESSION」でトレーニングを積んだそうですね。

先にお伝えした震災後の心境変化に加えて、ここを立ち上げるもう一つの重要なきっかけが、じつはふたばちゃんの存在だったんです。彼女のお父さんと僕がクライミング仲間ということもあり、彼女のこともよく知っていました。 当時小学4年生のふたばは、オリンピアンの野口啓代選手に憧れていたんですが、僕は「THE NORTH FACE CUP」を通して啓代ちゃんと繋がっていました。だから、もしジムを作ったら、啓代ちゃんに遊びにきてもらことでふたばは夢を見れるんじゃないかって。

―――このジムができる背景にそんな素敵ないきさつがあったんですね。実際、お二人は会えたんですか?

啓代ちゃんがオープン初日に来てくれたんですが、もちろん、ふたばは大喜び! で、「次はこの日に来るよ」って伝えると、それまでに上達したくてトレーニングを積むわけですよ。そんな日々を過ごして、ふたばが中学2年生になる頃ですかね。「JAPAN CUP」で憧れの啓代ちゃんを破って優勝して、ワールドカップに出ることになったんです。 僕のなかでは、そこまで早いとは思ってなかったけど、いずれそうなるなっていうのは思っていたことでした。

―――ドラマになりそうなストーリーですね。

世界へと進んで行くふたばをサポートするため、僕もコーチとして成長する必要がありました。独学でルートセットを学んだり、メニューを組み立てたり、より一層トレーニングのためのジムとして舵を切っていきました。今では、青森や山形、秋田から車で3時間くらいかけて、強くなるためにここに来てくれる子たちも増えましたね。
―――野口啓代選手に伊藤ふたば選手が憧れたように、今は伊藤ふたば選手に憧れるかつてのふたばちゃんのような子たちがトレーニングを積む場所になったと。

そうですね。そのなかでも現在日本代表選手である関川愛音(メロディー)は、小学校のころからずっとここでトレーニングしています。メロディーを強くするために、試行錯誤を重ねながらコーチとして頑張っています。

―――CHOKUさんのルーツは音楽だと思うのですが、ルートセットを考えるうえで参考になる部分ってあるんですか?

実は、DJをやるのとクライミングルートを作る作業って超似てるんです。DJは、例えば60分のなかに自分のレコードコレクションから選曲してドラマを作っていく。で、ルートセットも、たくさんあるホールドのなかからチョイスして、ムーヴを組み立てて、ゴールまでのストーリーを作る。DJと全く一緒じゃん!って。
―――この先の目標などあればお聞きしたいです。

ん~、とにかく目の前のことに一生懸命向き合って行くだけですかね。ふたばやメロディ、それを追う小学生たちのサポートをしていくっていう。これからも、ジムに通ってくれるおじさんたちと一緒に応援しながら楽しみたいですね(笑)。

―――最後に、コーチとしてこんな選手を育てたいという理想があれば教えてください。

超強くて、ダンスがめちゃくちゃウマイ女の子とかが育ってくれたら面白いなって。完登して下りてきた後の喜びの舞いがヤバイ!みたいな。それこそ、カズダンスじゃないですけど(笑)。
それは冗談として、自分はクライミングっていうとてつもなく大きな世界の一部分であるスポーツクライミングに熱くなっています。その場所で、選手を育てるというよりは一緒に成長していくイメージが強いですね。今は世界レベルの選手が出てきたことに、めちゃくちゃワクワクしてます! って、質問の答えになってなくてすいません(笑)。
Photo:Kanta Nakamura(NewColor inc)

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