今やファッションとして日常に根付いているグラミチだが、ルーツは紛れもなくクライミングにある。それは、1970年代に“ストーンマスター”と呼ばれた伝説的ロッククライマー、マイク・グラハムによるクライミングパンツに端を発するブランドだからだ。本連載では、クライミングに心を掴まれたクライマーたちのメンタリティやライフスタイル、クライミングとの向き合い方に迫る。改めてグラミチの原点を辿る道標には、図らずも今を生き抜くエッセンスが内包されていた。
平嶋 元
平嶋 元
NAME
平嶋 元
TITLE
ルートセッター
AREA
糸島
PROFILE
1981年生まれ。福岡県小倉育ち。JMSCAが資格を発行する国内ルートセッターだけでなく、IFSCが資格を発行する国際ルートセッターの資格も持つ、日本を代表する希代のルートセッター。BJCや東京五輪スポーツクライミング、IFSCクライミングワールドカップ等名だたる大会のルートセッターとして活躍し続けている。
経年変化をスパイスとして存在感がより強まった「ダッジ・ラムバン」から降り、優しい笑顔と柔らかい口調で挨拶を交わしてくれた平嶋さん。そのギャップに一瞬で引き込まれた。大胆かつ繊細、その二面性から生まれる直感に身を委ねて進む、平嶋さんが目指す頂とは?
―――クライミングを始めたきっかけについて教えてください。

一番はじめに出会ったのは高校のときですね。ダウンヒルバイクに乗っていて、地元のアウトドア店に通っていたんですが、そこにクライミングウォールが設置されたことがあって、それが初めて。思い返せばやたら熱中して一日中登っていましたね。でも、そのときはそれっきりで、続けてやるとかはなかったんです。

―――そうなんですね。高校時代は何か別のことにのめり込んでいたんですか?

高校生のころ、書道・音楽・美術から科目を選ぶ必要があったんですが、僕は書道を選択しました。先生の書くものだったり、考え方が好きで気づけばハマってましたね。そして、書道をもっと深めたいと思い、書家を目指して書表現コースのある新潟の大学に進学しました。
―――クライミングとはかけ離れた道に進もうとしていたんですね!

大学4年生までは、四六時中大学に入り浸って書を書いてたんですけど、徐々に目指すものがぼやけていって……。それで大学5年生のとき(笑)、新潟にクライミングジムができたのをきっかけに通うようになったんです。これだ!って理由はなかったんですけど、久々に熱中したというか。そのときの熱量に正しい感覚を得て、一気に走り始めた。そうなると、大学にいる時間がもったいないなって、大学も辞めました。

―――凄い急展開ですね。

クライミングって言い訳がないじゃないですか? できる、できないは自分次第。そこに仲間の助けはもちろんあるんですけど、自分で自分を評価できるっていうか。その一方書道は、自分が納得しても、権威のある人たちに認められなきゃいけない世界。だから、クライミングのシンプルさに心地よさを感じたのかもしれません。
―――海に山に自然豊かなエリアとして移住者も多い糸島ですが、岩場も豊富なんでしょうか?

岩場が有名な一大エリアではないんですけど、海岸沿いや山に岩場はたくさんありますね。僕はサップもするので、ピクニック気分で訪れることが多いです。大体3ヶ月に1回くらいのペースで来ています。

―――ロケーションも最高ですもんね。ところでこの岩場、めちゃくちゃカッコいいですね。

クライミングを本格的に始めた23歳くらいのころ、たまたま雑誌に掲載されているのを見たんです。今ほど情報もなかったんですが、どうしても登ってみたくて、とりあえず糸島の海岸沿いを一晩中走り続けてやっと見つけた思い出の岩場です。近隣に駐車場もあまりなく、迷惑がかかるので名前は明かせないのですが。

―――ちなみに、岩場の魅力は何だと思いますか?

あくまでも自分対岩場っていうシンプルな構図が好きですね。また、登ってみたい岩を見つけて、ルートを探って、登るというその一連のプロセス自体も楽しい。岩はそこにずっとあって変わらない分、自分のなかの変化を認識できるんです。

―――ジムもいいですが、やっぱり岩場は岩場でしか味わえないものがありますよね。

そうですね。今はのんびりした岩登りが多いんですが、40代のうちに攻めの岩登りをまたやりたいなぁと。ルートセットとしてすることで自分のクライミングレベルが保たれてる部分もあるので、上手くバランスを取りながら、向き合える岩を開拓して登っていけたらって思っています。
―――グラミチを知ったきっかけについて教えてください。

クライミングを始めたころ、一緒にやっていた友人が穿いていたのを見て知りました。それから、僕もショーツを好んでよく穿くようになりましたね。

―――グラミチパンツの着用感はいかがですか?

穿いていて違和感がないっていうのをめちゃくちゃ大切にしているのですが、グラミチパンツはまさにそれですし、このコットンツイルの生地感も好みです。僕は基本的にコットンやヘンプのような天然素材のものしか着用しないので。Tシャツも化繊のものは一枚も持ってないんじゃないかな? 唯一あるとしたら、海パンくらいですかね(笑)。

―――わかります(笑)。やっぱり、天然繊維に惹かれますよね。

それに縛らないシルエットもいい。ゆったりとはちょっとニュアンスが違うんですけど、そこが結構自分としては大事で。グラミチパンツなら、自分のムーヴに干渉することもないですし、また普段着としても使い込んでいきたいです。
―――選手としてコンペシーンで活躍した後、ルートセッターを志した経緯をお聞きしたいです。

きっかけになった人物は、ルートセッターの岡野寛さん。僕が選手として出場した新潟での大会のルートセットに来ていたときに初めてお会いしました。そのとき、東京に行ってみたいと相談したところ、「T-WALL」というクライミングジムを紹介してくれて2007年に上京。 それ以降もコンペには出ていたんですが、課題を登っている最中にふと“この課題よくできてるなぁ”って頭に浮かんだんです。なんか、そっちが急に気になったんですよね(笑)。ルートセット自体はジムでやったりはしたんですけど、大会中にそれを思ったのがルートセットしてみたいと思ったきっかけですね。選手としては一区切りして、2010年に国内ルートセッターのライセンスを取得しました。

―――選手として長年活動していた経験があると、やはり選手目線でのルートセットが軸になるのでしょうか?

やっぱり最初のころは、ただ自分が登りたい課題を作って提供していました。でも、岡野さんや最も選手を登らせないルートセッターとして知られるスイス出身のマヌエル・ハスラーだったり、そして一番はフランス出身の国際ルートセッターだったトンデ・カティオとの出会いで考え方が明確に変わりました。

―――トンデさんの説明を少ししていただけますか?

彼は、日本のクライミング界にヨーロッパの風を持ち込んだ重要人物なんです。最初は日本代表選手のトレーニング課題を作るために来日したのですが、その後「BJC」のルートセッターとして課題を作ったことで日本のシーンは大きく動くことに。 簡単に言うと、それまでは手と脚でしがみつくクライミングだったのが、ホールドを立体的に登る、すなわち体全体を使うクライミングに変わったんです。 もともと彼はデザイナーなのですが、デザインの仕事のプロセスとルートセットのそれが似ているといい、独学で学んだノウハウや考え方をテキストに纏めていて。世界各国で行っていたルートセッターコースもとても人気が高く、教えることに長けていました。
―――ルートセッターの在り方みたいなものを、トンデさんから学んだんですね。

はい。彼がよく言ってたのが、LESS is MORE。とにかくホールドはできるだけ少なく、だけど動きはできるだけ大きく。この思想は僕の根幹を成す考え方になりました。

―――とても深い言葉です。

空間をできるだけ大事にするということだと思っています。人ってものが1個あると視点がそこにフォーカスしてしまいますが、いかに空間や余白を設けて、選手に想像させる課題を提供できるか。 そこを意識していると、少し離れて壁を見たとき、自分がセットした課題を登っている選手のイメージが湧いてくるようになり、ルートセットがより面白くなったんです。 よく、ルートセッターは演出家でクライマーは俳優だと例えますが、別に指示を出すわけじゃないけど、課題を通してクライマーの限界値を押し上げて行くことに、やりがいを感じています。
―――ところで、平嶋さんは国内ルートセッターだけでなく国際ルートセッターの資格もお持ちですが、取得するのは難しかったんでしょうか?

先にお話しした通り、2010年に国内ルートセッターの資格を取得して、その流れで国際ルートセッターの資格にもチャレンジしたかったんですが、タイミングが悪く2011年に試験自体がなくなってしまい、道筋が途絶えてしまったんです。 だけど、諦めるわけにはいかなかったし、やれることをやろうと思い1年間オーストラリアに行きました。国外のことはなにも知らなかったし、自分の知らない環境でルートセットをやってみたかったってのもあって。最初のころは飛び込みでジムに行って“ルートセットさせてよ”ってお願いしてましたね。最終的には色んなジムでやらせてもらえるようになり、結果的にとても貴重な経験になりました。 その後、知り合いのセッターにお願いして、2015年にヨーロッパの大会でルートセッターとして入らせてもらったんですが、そこで認めてもらい、2016年に国際ライセンスを取得しました。

―――熱意と行動力で掴み取ったんですね。

2011年以降で国際ライセンスを取得したのは、同時期に資格を得たスロベニア出身の女性セッターと僕が初めてだったと思います。

―――日本と海外でルートセッターの考え方に違いはあるのでしょうか?

一言で表すなら、日本は精密で海外は大胆。日本は、細部に注力するのに対して、海外は全体でどう表現するかを意識しています。でも今は、ルートセッターの交流も増えたこともあり、双方の良さを互いに取り入れる動きが進み、グローバルで見て差異はなくなりつつあるんじゃないでしょうか。
―――平嶋さんが見据えるルートセッターとしての頂を知りたいです。

世界選手権のヘッドセッターになることですかね。2年に1回しかない大会の1人しかなれないポジションなので、経験してみたいですね。

―――期待しています!

ありがとうございます。ヘッドセッターになって、選手にとってはもちろんですが、それが自分の登りたい課題でもあれば、最高ですよね。そうなれば、ひとつのゴールといえるのかもしれません。
Photo:Tetsuo Kashiwada(NewColor inc)

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