今やファッションとして日常に根付いているグラミチだが、ルーツは紛れもなくクライミングにある。それは、1970年代に“ストーンマスター”と呼ばれた伝説的ロッククライマー、マイク・グラハムによるクライミングパンツに端を発するブランドだからだ。本連載では、クライミングに心を掴まれたクライマーたちのメンタリティやライフスタイル、クライミングとの向き合い方に迫る。改めてグラミチの原点を辿る道標には、図らずも今を生き抜くエッセンスが内包されていた。
一宮 大介
一宮 大介
NAME
一宮 大介
TITLE
プロ ロッククライマー
AREA
北山公園
PROFILE
1993年生まれ、大分県出身。高校生のとき、山岳部へ入部したことからクライミングを始める。コンペシーンや外岩で数々の実績を重ね、現在はプロ ロッククライマーとして岩と対峙する日々を送る。ヘンプをこよなく愛するLOVE&PEASEクライマー。
兵庫県西宮市に位置する北山公園で待ち合わせをした際、それまでドレッドヘアーがアイコンだった一宮さんはさっぱりとしたショートヘアに。爽やかな笑顔で「宜しくお願いします!」と挨拶を交わす様は、周りから愛される人柄を物語っていた。未知の岩場を求めて未開の地へと向かう一宮さんが、その手で模索するクライマーとしての在り方とは?
―――クライミングを始めたきっかけについて教えてください。

大分県の竹田(たけた)市で育ったんですが、自然豊かな田舎町で幼少期から木登りだったり山に探検に行ったり、山が遊び場であり公園のようなものでした。中学時代は野球をやっていたんですが、中3のときに1個上の先輩が地元の竹田高校の山岳部に入っていて、誘ってもらったんです。県内でも強豪の部活だったのもあって。

―――先輩の誘いがきっかけだったんですね。竹田高校の山岳部はスポーツクライミングがメインだったんですか?

入部するタイミングで、ちょうどスポーツクライミングへ移行したんです。それまでは縦走などがメインだったんですが、僕が中3のときに開催された大分国体の会場が竹田高校で、そのままリードの壁とボルダーの壁が残っていたんです。

―――グッドタイミングですね! 実際に初めて登ったときのことって覚えてたりしますか?

めちゃくちゃ鮮明に覚えてます(笑)。竹田高校に入学して2日目とかに、制服のまま山岳部の見学に行ったんです。すると、まだ入部もしてないのに先輩から「登ってみる?」って。
右も左も分からず登り始めて、傾斜のある壁にぶち当たったんです。脚がぶらーんってなるような。どうしようか迷ってたんですが、見上げるとすぐ近くにゴールがあったんで、パンッ!って手を出したんです。そしたら先輩が「エッ!」って顔してて(笑)。要は、足を使わずに手だけで登るキャンパシングが出来ちゃったってことなんですけど。

―――(笑)。大型新人キターーーみたいな!

そんな感じだと思います。そのとき、めちゃくちゃ気持ち良くて、今でもそのシーンは脳裏に焼き付いてますね。
―――それからクライミングにのめり込むようになり、毎日練習を重ねていったんですね。

毎日登りまくってましたね。入部してちょうど半年くらい経ったときに、国体の代表を決める選考会に出場したんですけど、練習の成果もあって、優勝できました。

―――すごいですね。その後は関西の大学に進学されますが、何か特別な理由はあったんですか?

その当時は、クライミングを職業にしようと思ってなくて。親からは「公務員になれ」って言われていたのもあり、そのために関西の公務員の勉強ができる大阪産業大学の経済学部公務員学科へ進学したんです。
―――そうだったんですね。ただ、大学時代も変わらずクライミングは続けていたんですよね?

大分県山岳連盟が、強化選手枠でジムに通う料金をサポートしてくれていたのもあって、ジムでトレーニングしていました。その流れで大阪の大正区にあるガレーラというジムで働くようになって、そのまま大学をフェードアウトすることになります(笑)。

―――詳しく教えてください(笑)。

大阪に出てきて、ジムで色んな人と出会ったことで視野が広がったのが大きかったんです。僕がクライミングで生きて行くっていうのが不自然じゃないくらい凄い人がたくさんいたし(笑)。ジムのお客さんに相談したら「今すぐ、辞めたほうがいいよ」って(笑)。大学にも10回くらいしか行ってなかったし、1年生のときに辞めました。その後はジムでバイトをしたりルートセットの仕事をしながら生計を立てるようになりました。

―――大学を辞めるときにはもう、クライミングで生きて行くって腹を括っていたんですか?

そこまで考えてはいなかったですね。公務員試験も30歳くらいまで受けられるじゃないですか? そのとき18歳だったので、10年くらいやることやって、失敗したら戻ればいいかなって。

―――コンペシーンから退き、外岩メインにシフトしたのはいつですか?

23歳くらいですかね。コンペだと、どうしても自分対相手になる。だけど外岩は、向き合い方も時間の使い方も自由。それが性に合っていたんだと思います。
―――北山公園の特徴についてお聞きしたいです。

とにかくクラシカル。1980年代に日本のボルダリング発祥の聖地として開拓されたんです。ただ、スラブ垂壁の花崗岩だったり、ダイナミックな動きが少なく登りが地味なこともあって現代のクライマーは結構嫌がるかもしれません。僕は、そういったクライミングが苦手なんで、克服するためにあえてコンディションの悪い夏によく訪れるようにしています。また、正式名称が北山緑化公園というだけあって自然が豊かですし、歩くだけで気持ちいいんです。

―――確かに。この岩場に辿り着くまでの道も、様々な植物を眺められたりして全く苦じゃなかったです。

そうそう。これはマネしてほしくないんですけど(苦笑)、昔夜に入っちゃダメなことを知らなくて、この場所で登ったことがあるんです。で、ここから夜景が見渡せるんですが、めちゃくちゃキレイでした(笑)。
―――グラミチとの出会いはいつですか?

10年前くらいだったと思います。関西に出てきて、アウトドアのブランドによく触れるようになったんですが、結構周りのクライマーもグラミチを穿いてました。それから、僕もクライミングをする際に愛用していましたね。

―――着用感など何か感想があればお聞きしたいのですが。

フィット感もいいし、なにより岩に座っても擦れない耐久性のある生地が好きです。後は自然だけじゃなく街でも穿けるデザインなのも嬉しいですよね。90’sの空気感が戻って来ているので、そういった雰囲気を醸し出せるのも今ちょうどいいかもしれません。

―――ありがとうございます。一宮さんはヘンプ素材が好きなんですよね?

そうなんです。昔はヘンプのクライミングパンツが結構あったイメージなので、グラミチからヘンプものが出たときは教えてください! ソッコー買います(笑)。
―――一宮さんはクライマー界隈でボルダーハントの異名をお持ちだと伺ったのですが、どのような活動をされているんですか?

国土交通省が出している等高線などが書かれた地形図があるんですが、それを見ながら、例えば沢沿いに岩のマークが書いてあれば、そこを目指して行くって感じです。

―――めちゃくちゃアナログですね! 要は、未知の岩場を探すってことですか?

そうですね。きっかけはUL(ウルトラライト)スタイルでクライミングをする方達との出会いで、3~4年前から始めました。僕も今日背負ってきたリュックに寝袋を入れるくらいで、1泊2日とか見つけた岩場の側で寝泊まりします。

―――だからマットも通常のものより薄かったんですね。ボルダーハントの目的ってなんなんでしょうか?

登山道から始まり、途中で岩場を見つけて登る。そこでキャンプをしたりしながら生活し、帰路に着く。この一連の流れをすべて自分達だけで完結できるのが好きなんです。目的とかゴールがあるわけではなく、ライフサイクルの一部としてずっと続けていたいというか。海外では岩場を求めて2日間とか歩いたりすることもあるかもしれませんが、日本ではあまりないカルチャーだと思うので、少しでも広まっていけばいいなと思ってます。
―――今もう31歳ですね。今後はもうクライミングで生きて行く感じでしょうか?

そうですね。もう片足どころか、両足突っ込んじゃってますもんね(笑)。うん、他の職業は考えられないです。ずっと、岩登ってんだろうなって。

―――そんな気がしました。最後に今後について目標などあれば教えてください。

同じ雰囲気で遊べるクライマーが増えたらいいなって思ってます。例えば、岩登りだけじゃなく、その道中やキャンプでの火起こしだったり、行間を楽しめるような。クライマーとして岩場と対峙して、難しい課題にトライし、そこに楽しさを見出すのは当たり前。だから、その前後で一緒に笑っていられるような仲間を増やすためにも、ボルダ―ハント、続けていきます!
Photo:Kanta Nakamura(NewColor inc)

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