今やファッションとして日常に根付いているグラミチだが、ルーツは紛れもなくクライミングにある。それは、1970年代に“ストーンマスター”と呼ばれた伝説的ロッククライマー、マイク・グラハムによるクライミングパンツに端を発するブランドだからだ。本連載では、クライミングに心を掴まれたクライマーたちのメンタリティやライフスタイル、クライミングとの向き合い方に迫る。改めてグラミチの原点を辿る道標には、図らずも今を生き抜くエッセンスが内包されていた。
永山貴博
永山貴博
NAME
永山貴博
TITLE
オーサムクライミングウォール 店主
AREA
岸良海岸
PROFILE
1984年生まれ。埼玉県出身。「ザ・ノース・フェイス」でのPR職を経て、クライミングに人生を捧げるため2019年に鹿児島県へ移住。クライミングジム「オーサムクライミングウォール」を運営しながら、鹿児島県内のクライミングスポットの開拓と発展に尽力する日々を送っている。ヨセミテキャップがアイコンの100%CLIMBER。
人懐っこいオーラと弾ける笑顔がオーサム!な、永山さん。2019年に鹿児島県に移住して以来、未知なる岩場の開拓に力を注ぐ日々を送っている。「365日ずっとクライミングのことばかり考えてますね!」と語る永山さんの笑顔の源を探るべく、密着取材を敢行。そこには、岩場に心を掴まれたクライマーの実像が、確かにあった。
―――クライミングを始めたきっかけはなんですか?

ずっとスノーボードをやってたんですが、29歳くらいのときに「ザ・ノース・フェイス」に転職したのがきっかけでクライミングを始めました。当時、原宿店には登山家をはじめ山のスペシャリストが集結していたんです。本当に、みんなやばかった。
ある日、お店のスタッフに誘ってもらって、残雪期の槍ヶ岳へ1泊2日という結構ハードな工程の登山に行くことに。1日目の夜はビバークしないといけなくて、寒さと風の影響もあって死ぬんじゃないかと思いましたね(苦笑)。なんとか、周りの人のサポートもあって無事に登頂できましたけど。その頂上にアタックする際、クライミングの要素が含まれていて、今後トレーニングを積まないと登れない山もあると教えてもらい、ジムに通うように。実際トレーニングしてみると……全然できなくてめちゃくちゃ悔しかった。登山のために始めたクライミングが、いつしかクライミング自体が好きになっていったという感じです。

―――それほどまでに永山さんを惹き付けたんですね。

ひとつ思い出深い経験があって。ジムでトレーニングをし始めた頃、全然上手く登れなかったので翌日仕事を終えてから再トライしようと思っていたんです。でもその当日の勤務中、ハンガーすら持てなかったんです(笑)。そんな経験したことなくて、俺の手、どうなっちゃったの?みたいな。めちゃくちゃ負けず嫌いなんで、もう、絶対登れるまで辞めらんねぇって、プルプル震える腕を見て、決意しました。
そこから、それまで以上にジムに通い詰めるようになり、段々できないことができるように。30代になって、そういう経験ってなかなかないじゃないですか? それからしばらくして、初めて岩場に行きました。瑞牆山だったかなぁ。岩の上に立ったときの感覚が気持ち良すぎて、今も忘れられない。“己の身一つで、自然と対峙している”ような。今では“日常=クライミング”になっていて、本当にこの世界に岩場があって良かったなって思ってます(笑)。
―――永山さんが大好きなヨセミテとの出会いについても教えてください。

「ザ・ノース・フェイス」のプレスになってから1年目のときに本社取材があって、どうせならヨセミテに行きたいと思い、取材の前後に有給をくっつけて行ったのが初めてです。目的地は、頂上にチョークで落書きされたライトニングボルドがアイコンの「ミッドナイト・ライトニング」。そのとき、マットも持ってなかったんですけど(苦笑)、トライしてたらアメリカ人のクライマー2人組が声を掛けてきてくれたんです。“お前クレイジーすぎるだろ”って、マットを貸してくれた。
クライミング自体は雨季で思うようにできなかったんですが、周りのみんなは雨が降ったら木陰で本を読んだりして、そこには独特の時間が流れていることに気づきました。“クライミングが生活に根付いている”んだなって。その後、その2人組とは3日間くらい一緒に登りましたね。
それから数年後、ボクが「ザ・ノース・フェイス」で手掛けた最後のプロモーション冊子でその2人をモデルで起用し、再会を果たしました。
―――とても感慨深い出来事ですね。ご自身のクライミングスタイルについてもお伺いしたいです。

自分の強みは、人が挑戦しないようなボールドな課題にトライできることですかね。当然ですが、クライミングってかなりの危険を伴うスポーツ。で、そこには必ず境界線が存在する。これ以上登ったら、もう引き返せないっていうボーダーラインが。その境界線を超えられるかどうかの葛藤と、それを超えて登り切ったときの達成感。自分で決めた境界線を超えていくっていう感覚が好きですね。
クライミングは完全にメンタルスポーツだと思っていて、できないと思ったら、できないんです。でも、今ではその境界線がどんどん上がっていっちゃってるのが問題(苦笑)。家族もいますし、死と隣り合わせなのもわかっているのですが、なかなかボールドな課題はやめられそうにありません。
―――岸良海岸との出会いについて教えてください。

2019年に鹿児島に移住してきたんですけど、その前に「ザ・ノース・フェイス」のプロモーションで岸良海岸を一度訪れたことがありまして。一目みてパラダイスだと思った。海岸沿いに一生かかっても登り切れないほどの岩がゴロゴロ転がっていて、頭がバグりそうになりましたね(笑)。それからしばらくして、鹿児島出身の奥さんから地元に戻りたいという話を受けて、こっちとしては“岸良海岸があるなら全然いいよ”って感じでしたね(笑)。

―――永山さんにとっては願ったり叶ったりだったということですね(笑)。ここは、もともと有名なクライミングスポットだったんですか?

九州全土の限られたクライマーたちが大切にしていたシークレットスポットでした。ただ、こんなに素晴らしい場所があるなら全国のクライマーとシェアしたいと思い立ち、鹿児島の谷山にあるジム「キロニコボルダーパーク」のオーナー福岡 彰くんと一緒にイベントの企画を始めました。それが、岸良海岸の「トウフエリアA・B」と言われるスポットを鹿児島のクライマーたちも一緒になって開拓した2020年の「岸良ロックサミット」という公開イベントです。
公開とは、全国のクライマーに対して自由に登れるようになりました!と公に開示することですね。公開すると決めてからは、これまで岸良海岸を大切にしてきたクライマー一人一人と膝を突き合わせて話し合い、全員の許可を取ってからイベントを開催するに至りました。

―――岸良海岸の魅力は?

海沿いに白い巨大な花崗岩がゴロゴロあり、無数にラインが点在しているっていうのは、クライマーにとっては最高の状態なんじゃないでしょうか。それに、このロケーションに心を奪われないクライマーはいないと思います。間違いなく世界No.1。ボクのなかではヨセミテやジョシュアツリーにも優ると確信しています。
ただ、空港から2時間はかかるうえ、岩場に着くまで雑木林を掻き分ける必要もあり、アクセスは正直悪い。さらに、周辺には国民宿舎も今はありません。だからこそ、ロックトリップの聖地として全世界からクライマーを誘致するために、これからあらゆる導線を構築していきたいと思っています。

―――岸良海岸のクライミングシーズンはいつごろがベストですか?

11月中旬~2月中旬くらいですかね。真冬でもTシャツ、長ズボンで行けますよ! それ以外だと、岩が熱いとホールドが持てなかったりチョークもすぐなくなるなど、いつ滑ってもおかしくない状況なので、基本的にはシーズン中に登ってほしいですね。下が岩盤なので、パートナーと一緒に多めのマットも用意することをオススメします。
―――グラミチとの出会いについて教えてください。

高校3年生のとき。当時は、埼玉の花咲徳栄高校でずっと水球に明け暮れていました。ゴリゴリの坊主だったんですけど、裏原どストライク世代ってのもありお洒落には興味があって。部活がひと段落してから服を買うためにバイトを始めました。
で、今はもうなくなっちゃったんですけど、埼玉に「フリースタイル」というセレクトショップがあり、そこで初めてグラミチとかワイルドシングスとか、イケてるUSA製のアウトドアブランドを目にしました。スタッフさんが、無地Tにバケットハットを被って、グラミチのリネンパンツを穿いてたんですが、それが強烈にカッコよくて! しかも、そのスタッフさんも坊主で、“あっ、坊主でもこんなにお洒落できるんだ”って感動したのを覚えています(笑)。

―――それ以来、グラミチのコレクターに?

そうですね。もちろん、最初に買ったのはグラミチのリネンパンツ。強度はあるけど、モノ自体の限界値があるのでダメにならないようにずっと大切に穿いています。自分のなかでは、“グラミチ=リネンかヘンプ100%のUSA製”が絶対で、ショーツも併せると12,3本は今も所有しています。

―――クライミング目線でグラミチパンツに思うところはありますか?

街使いとしてはパーフェクトですが、クライミングに関していえば太腿周りが少し窮屈な気がするので、パターンを立体的に見直すといいかもしれません。グラミチが、ガチのクライミングパンツを作ったら、めちゃくちゃ需要あると思いますよ。アーカイブロゴを使ってみたり、後はそれがUSA製だと……個人的には最高ですね!
―――永山さんが経営されている「オーサムクライミングウォール」のコンセプトを教えてください。

大前提として、“岩場に向かうためのボルダリングジム”でありたいと思っています。確かに、オリンピックもあってスポーツクライミング(インドアクライミング)の裾の尾は広がりました。でも、昔から“クライミングは岩場とともに在る”ということを改めて伝えたい。
そのためにまず、山梨県にある「LOKU BOKU(ロクボク)」というクライミングジムを運営する「ボタニクス」の伊藤剛史さんに“曲面壁”を作っていただきました。曲面壁とは、なるべく岩場と同じ環境下で登れるように形状が読みづらく、手をかけて足を離したとき予測不能な体の振れが生まれるのが特徴で、圧倒的な威圧感があるんです。

―――“クライミングは岩場がすべて”という永山さんのコダワリが詰め込まれていますね。

難しい課題を多く設けて長期間変えないのも、その課題に打ち込んで登れたときの達成感を大事にしたいからなんです。だって、挑戦したい岩場はずっと場所を変えず、そこに在り続けますよね? ちなみに、まだ空調が入っておらず、自分としては岩場に近いタフな環境でトレーニングできているのですが(笑)、お客様には申し訳ない気持ちでいます。
また、キッズスクールもやっていて、ゆくゆくは一人でも多くの子供たちと一緒に岩場へ行くのが目標です。もともとココは板金工場だったので、そのガレージ的な趣も相まって一般のジムと比べると大分ハードコアなクライミングジムになっているかもしれません(笑)。
―――今後の目標を教えてください。

鹿児島本島からフェリーで約1時間半くらいのところに甑島(こしきじま)という島があるんです。そこには、30㎞にわたってずっと岩場が続いているエリアがあり、地元のローカルもまだ立ち入っていない場所。鹿児島のラストフロンティアだと思っていて、来年か再来年には公開したいです。

―――そうなんですね! 甑島の存在を知ったきっかけはなんだったんですか?

ドキュメンタリー映画「人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界」でも知られる、アルパインクライマーの山野井泰史さんが、とあるアウトドアブランドのブログで“甑島に登りに行った”という記事を拝読したのがきっかけです。要は、情報としてはそれくらいしかないんです。

―――甑島が公開されれば、クライミング史に残りそうですね!

ハハハッ(笑)。ボクにとっては“名を残す”みたいなのはどうでもよくて、ただただ素晴らしい岩場を共有したいだけなんです。そもそも、岩場は自然の産物で、誰のものでもありません。クライマー同士ってすぐに仲良くなれる。その輪が広がり、クライミング自体がもっと正しく理解されて、よりよい循環が生まれるためにこれからも活動を続けていきます。

―――最後に、永山さんにとってクライミングとは?

もちろん、岩です(笑)。
Photo:Kanta Nakamura(NewColor inc)

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